会員だより

《読書感想文》〜悲劇の強制移住を乗り越え〜
エネルギッシュに活躍するロシアのカレイスキーたち


岩佐 毅(学20P)


何故ロシアに朝鮮民族がいるのか?


10年ほど前偶然見かけた「旧ソ連の高麗人〜カレイスキー〜」と言う書籍を購入して一気に読み進み、この著作の圧倒的な迫力に感動した。そして、訳者の高賛侑氏(コウチャニュウ、大阪在住)と早速連絡を取ってお会いし、氏の物静かで知性豊かな人柄に触れ、現在まで親交が続いている。

ところで、極東ロシアやサハリンで在露朝鮮民族に偶然出会った方が多数おられるはずである。しかし、何故彼らがロシアに長年在住しているのかその経緯はあまり知られていない。

サハリンに現在居住する在露朝鮮人約4万人は、サハリン南半分が日露戦争終結時に日本領となり、南樺太が「日本」であった時代に、一部は強制的に、または自発的に仕事を求めて移住した朝鮮人とその末裔の人々である。

そして、第二次世界大戦終末時に、ソ連軍が武力侵攻し、日本政府は樺太在住の約30万人の邦人居留民のほとんどを急遽引揚船に乗せて帰国させた。しかし、朝鮮人居留民は終戦と同時に「日本国民ではない」との理由で引揚援助を一切行わず、止む無くソ連支配下のサハリンに残留したのである。

その後、冷戦下で祖国との連絡も途絶し、在サハリン朝鮮人たちの多くは、生活や子供の教育のため次々ソ連に帰化していき、在露朝鮮人となっていった。

しかし、沿海州に居住していた在露朝鮮人は来歴を異にしている。

つまり、ウラジオストク周辺が中国領土であった時代、国境を接している朝鮮半島北部から生活困窮者たちが次々越境して住みつき、主として農業に従事していた。そして、1938年の愛琿条約締結により、沿海州がロシア領となり、地域経済の発展に寄与する朝鮮人農民を優遇したため、彼らは次々ロシア国籍を取得して行き、在露朝鮮人となった。

そういった経緯で沿海州在露朝鮮民族(当時約20万人)となった人々をロシア語でカレイスキー(または、朝鮮語で高麗人=コリョサラム)と呼んでいる。

また、朝鮮半島が大日本帝国植民地となった後、朝鮮人愛国者が武力闘争による激しい独立運動を展開した。

しかし、強大な軍事力の日本軍に追われて、ロシアに逃げ込み、沿海州は反日闘争の拠点ともなって行った。そして、当時抗日パルチザンのリーダーであった金日成もハバロフスクに逃れ、ソ連赤軍の朝鮮人部隊の尉官となった。やがて日本は敗戦し、金はスターリンのお墨付きで北朝鮮のリーダーに選ばれて凱旋し、朝鮮民主主義人民共和国を樹立したのである。また、伊藤博文を哈爾浜駅で狙撃殺害した安重根も一時沿海州を拠点として活動していた。


貨物輸送車でカザフ・ウズベキスタンに全員強制移住


ところで、ロシアの地域経済の発展に寄与していた、「カレイスキー」に突然悲劇が襲い掛かる。それは、日本が中国との戦争を拡大し、ソ満国境を突破して沿海州に侵攻してくる可能性があるとの危機感を抱いたスターリンの命による、朝鮮民族の強制移住である。

彼は当時日本の植民地下にあった朝鮮半島出身者が、密かに日本軍と結びついて、諜報活動を行ったり、武装蜂起するのではないかと猜疑心の虜となる。

そして、1935年頃から在露朝鮮人のリーダーたちを、様々な口実で無実の罪で拘束して処刑してしまう。そのあと、1937〜38年初めまでに、突然命令後3日から1-2週間の間に強制的にすべてのカレイスキーたちの退去を命じて、貨物輸送の貨車に放り込み、行先も告げず、カザフスタン、ウズベキスタンに一カ月かけて強制的に移住させるという蛮行を実行したのである。

実は私は前述のノンフィクション作家高氏とともに、ウラジオストクから100キロのウスリースクにある在露朝鮮人文化会館を訪問し、実際に貨車に乗せられた強制移住体験者数名のインタビュー取材を行ったことがある。

寒風が吹きこむ粗末な貨車の内部を板で上下2段に仕切り、ストーブ1個を置き、3日分の食料持参を命じて4-5家族=20数人を詰め込んだのである。

そして、約1カ月かけて、沿海州のカレイスキー18万人を老いも若きも、一人残さずカザフスタンとウズベキスタンに輸送し、野草の茂る原野に文字通り遺棄したのである。

インタビュー時には、「途中貨車の中で老人や子供たち多数が死亡し、時折列車が停車すると、遺体が白い布切れに包まれて次々降ろされ、線路わきに遺棄された」と体験者は涙ながらに語った。


ソ連邦崩壊後沿海州に帰国開始


彼らは移住先で必死に農業に取り組んで成果を挙げ、次第に敬意を払われるようになり、安定した生活を取り戻し、一定の社会的地位を獲得していった。

しかし、ゴルバチョフのペレストロイカが始まり、やがてソ連邦が崩壊したのち、カザフスタン、ウズベキスタン双方も独立したため、民族意識が急速に高まって、朝鮮人の排斥が沸き起こり、不愉快なことが多発した。

ウスリースクの朝鮮人文化センター

その後、ロシア連邦政府が朝鮮人の強制移住政策の過ちを認め、ロシアへの帰国を許可し、一定の賠償金の支払いをしたため、カレイスキーたちが帰国を始めた。そして、韓国政府の財政支援も受けてパルチザンスクに、帰国者受け入れのための特別な市街も開設され、既に数万人が沿海州に帰国し居住している。

現在南北合わせて約7千5百万人の人口の朝鮮半島だが、アメリカ(200万人)、ロシア、旧ソ連(約45万人)、中国(200万人)、日本(60万人)など世界各地に居住する在外朝鮮民族は合計750万人と言われており、彼らの熱い経済、文化活動は注目されている。そして、ロシアでも悲劇の歴史を乗り越えて全国的な在露朝鮮人協会を立ち上げ、ウスリースクに、歴史資料館、体育館、集会室などを備えた総合文化会館を開設し、民族文化や伝統を継承する様々な活動を活発に展開しており、彼らのエネルギッシュな行動力に大きな拍手を送りたい。

尚、この貴重な書籍は東方出版社(電話 06-6779-9571)に在庫があり、購読ができる。


(令和3年6月13日)

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