会員だより

熊との遭遇、カナダ・バンクーバー在住者より


中川 ヒロ子(学21EC)


ここバンクーバー市は、カナダ西海岸最大の港町。北部に山並みが連なり、西は太平洋に続く海となる。山裾から南部一帯にかけアメリカとの国境線近くまで、なだらかに郊外の住宅地が広がっている。

私がいつも散歩するのは、その山々の真下にある、森林の中のトレイル。といっても、緑豊かな北の住宅地と隣接している。そこから一歩足を踏み入れれば、自然のまっただ中。あちこちにトレイルが巡り、渓流が流れ、秋には、産卵に上がって来る鮭を狙って、釣り人たちが各所の岩場に集まってくる。トレイルでは、地元の住人たちがジョギングやウォーキングで行き交い、ついでその多くが犬を連れている。

「滑りやすいので足元注意」とか、「人と人との距離は2メートル空けるように」という注意標識と共に、今年も、「熊が出るので要注意」というのを多く見かけた。毎年のことながら、春から秋にかけてブラックベアと呼ばれる種類が頻繁に出没する。そもそもこの辺りは、コヨーテ、アライグマ、リス、大フクロウ等、多種多様な野生動物の元来の生息地となっている。

これまでにも歩いていると、「熊をあの辺で見かけたですよ」とか、「きっとあの薮の中にいますよ、犬が騒いだので。気をつけてね」とか何度も声をかけられた。熊が近寄るのを避けるためには、なるだけ大きな音を出しながら歩くとか、犬の首輪にベルを付けるとか(その音に警戒し、まず向こうから襲ってくることはない)、そして突如出会った場合、逃げ場がないときのために、ベア・スプレーを携帯するとか、予防策は一応講じられている。そのせいか、熊による人間へのアタックはほとんどと言って良いほど報告されていない。


そして今年の春、5月頃であった。

いつものウォーキング・コースの、樹木が茂る切り立った斜面に沿うトレイルを歩いていたら、異様な音がした。聞いたこともない、バリバリッと、樹々が潰されるような音。若者たちがふざけて暴れているのか、と見上げたけれど何も見えない。そうしたら又もや大きくバリバリッ、と。そして次に来たのは、グワッ、まさしく動物の唸り声であった。熊だ! と直感した。歩く私の真横の上方の茂みの中で、熊が唸っている。逃げたいが、逃げてはいけない。逃げれば本能で追っかけて来るから。

仮に真っ正面から出会った場合は、両手を上に伸ばし、自分を出来るだけ大きく見せ、静かに後ずさりするのだ、そうすれば、向こうもこちらが敵でないことを察知して、興味を失ってくれるだろうから、それが一番の策、と聞いていた。熊には、はなから人間を襲って食べる気はないのである。彼らの本来の食べ物は、森の木の実や川で捕まえる鮭。もし襲ってくるとしたら、それはテリトリーを脅かされたり、身の危険を感じたり、又子を守ろうとする母熊の母性本能の故にだ。それ以外に、むやみな戦いは挑んで来ないのだとか。

しかしこのときの私には、熊の姿が見えず、両手を高く上げる必要もなく、しかも走って逃げることができない。それで、歩いた。命からがらのウォーキング。何事も起こりませんように、と祈りながら、ペースを崩さず、一歩一歩。もし追いかけられたら、熊の走るスピードは半端ではなく、私などの全力疾走では一瞬にて捕まるのである。

200メートルほど行けば小さな駐車場があり、そこに車を停めている。車にさえ辿りつけば、車内で一応防御できる。

しかし歩調はひたすらに落ち着いていても、もしかして自分はこうやって命を失うのかな、とか、大怪我を負うのかな、とかの考えが頭をかすめるのである。

しかし熊は追いかけては来なかった。歩くリズムが功を奏したのか。


車に戻り、気持ちを落ち着け、さっきのトレイル近くにドライブして戻ると……一人の女性がトラックから降りて、崖に沿ってそびえ立つ樹々を見上げている。「もしかして熊?」と話しかけると、「いますよ〜、ほらあの高〜い木の一番上に登っているの、見えるでしょう?」「私怖かったんですよ、何かが唸って怒っているので、やっとの思いで車に戻ったんです」

「あのね、実は二頭います。もう一頭は下方に。どちらもまだ若い子グマだわ。じゃれて遊んでいるのよ」

――そうだったのだ、と。兄弟の熊がレスリングかなんかして、遊んでいたのだ。それであの唸り声。あの砕けるようなバリバリ音。

道理で私が襲われるはずはない。

女性は、いつまでも熊を観察していた。こちらを振り向き、この熊たちのことはゼッタイに通報しないわ、と言う。私も同意した。なぜならもし市に通報すれば、調査員が入る。行動や足取りをチェックし、特に人間を襲う危険はないと判断すればそのまま放置するが、仮にその熊が頻繁に姿を見せるようになったり、威嚇的行動を取る場合は、放って置けない。「問題熊」と見なされる。

ただほとんどのケースでは、野生動物管理局の係員が睡眠銃で眠らせた後、はるか遠方の山に放す。しかし、同じ熊が再び人間社会に現れたり(放す際に耳かどこかにしるしを付けるそう)、人間様の食べ物を求めてさまよい始めれば、自然の中で自活できないと見なされ、やむをえずの銃殺、すなわち安楽死の運命となる。

ただしこれに関して、一般市民や保護団体からの批判の声が並ではないのだ。すなわち、動物に、熊に責任は無い、彼らのテリトリーを侵害し、要らぬ食べ物(ハンバーガーやらピザやら)の味などを覚えさせ、ただ無心に近づいてきたのを殺すとは、何という傲慢、許せない、となるのである。これが市当局にとって例年、解決策に向けて頭を悩ませる大きな課題となる。自然や野生動物との共存、共生への協力要請や教育が、郊外を含めたすべての各市町村毎に、不可欠且つ具体的な対策をもって実施されている。

https://northshorebears.com/ ご参照に)


さて話を5月に戻したい。

私にとって、遭遇したというにはあまりにも近くて遠かった熊たちは、今年の早春に生まれた子熊に違いない。母熊は何処にいたのだろうか、親子で無事に安全に暮らしているだろうか? 人間の近くに寄ってきてはだめだよ、と、以後そのトレイル近くを通るたびに心で語りかけた。

そして夏が過ぎ、今年も多くの熊があちこちで見かけられたと聞いた。

そんな10月のある日、向こうからジョギングして来た女性が立ち止まり、「熊がいますよ、今あの辺で見かけました、あの方向、二頭いました、気をつけてね」と。

そこはまさしく、以前熊たちと出会ったその現場近く。

「あ、私その子たちを知っているわ」という言葉が思わず出た。次に、無事に夏を越したんだなあ、と胸をなで下ろした。良かった、捕まらずに生き延びて。

このまま元気に、これから沢山食べて、皮下脂肪をしっかりつけて、冬眠に入って欲しい。満腹にならないと眠れないから。鮭が数多く産卵に上がって来ますように。


そうして相変わらず日々の散歩は続き、樹々が色づいて秋の深まる山道を歩いていた。

――先日。ネット上の日本のニュースで、「某県のあるショッピングモールに熊が入り込み、駆除」とかいう見出しを見た。記事を読むと、地方の猟銃会のメンバーが射殺したらしい。写真に大きな檻が写っており、おそらく一時その中に熊を追い込み、そこで殺したのだろうか。

熊にすれば、怖かったであろう。モールに入ってしまったのは、別に人を襲うつもりじゃなかっただろうに。おそらく食べ物を求めていたに違いない。秋口には、大量に食べなくてはならないから。

駆除、という言葉にひどく違和感を覚えた。

何という社会なんだろうか。清潔で便利で皆が決まりを守る素晴らしい一流の先進国。だけど要らないものは駆除? ショッピングモールに迷い込んできた熊を、人間が寄ってたかって、追いつめて、駆除?

私には分からない。本当はそんな社会でないことを、きっと誰かが訴えてくれていることを信じ願いながら、暮らしている。





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