「楠ヶ丘会の思い出」
楠ヶ丘会 名誉会長 渡邊 祥夫(学P1)
神戸外大楠ヶ丘会は、学部第1回卒業式のあと、昭和27年(1952年)4月10日に第1回総会を開き正式に誕生した。
初代会長は神戸市立外事専門学校英語科第1回卒業の秋宗久夫氏で、在学中は旧日本陸軍の将校の制服で登校する異色の生徒であった。 同窓会には非常に熱心で、平成5年(1993年)4月に数田雅朗氏にバトンタッチするまで41年間会長として楠ヶ丘会の発展のために尽力された功績は非常に大きい。 私が楠ヶ丘会に関わったのは昭和48年(1973年)外大創立30周年記念事業の準備段階からで、役員の有志たちが諏訪山にあった「静月荘」に毎日のように集まって、どんな記念行事をするのか等を議論しながら準備を進めたものだった。外大には、まだ学園紛争の余燼(よじん)が残っていたので、資金集めから舞台の司会進行まで、我々楠ヶ丘会が主体で実行した。神戸文化中ホールでの記念行事(ボニージャクスと芹洋子の歌、カナディアン・アカデミーの生徒による「歌舞伎」の上演をはじめ、市内の外国人の児童生徒による舞踊やコーラスなど神戸外大ならではの催しを市民に披露した。 また、神戸外専発足以来30年間の歩みを「オートスライド」に収録し、記念式典で上映するとともにその後毎年、新入生へのオリエンテーションで母校の歴史紹介として利用した。
昭和61年(1986年)の外大創立40周年は、六甲楠ヶ丘から学園都市へのキャンパス移転に伴い、待望の「同窓会館建設」に向けて建設資金の募金活動を展開。 卒業生をはじめ、教職員と在学生の父兄、卒業生の勤める企業からもご協力をいただき5,600万円余が集まった。 これを神戸市に寄付して、現在の「楠ヶ丘会館」が完成した。また、昭和25年春にできた「神戸外大校歌」の[歌碑]を楠ヶ丘会館前に建立した。 昭和63年(1989年)の秋には、学内の三木記念会館で楠ヶ丘会主催の「物故者慰霊祭」を無宗教で行い、卒業生、在学生と教職員の物故者の冥福を祈った。
阪神淡路大震災後、その復興のために神戸市が破産状態となったため、外大創立50周年記念事業(平成8年−1996年6月1日〜3日)も、卒業生から4回目の寄付を仰ぎ、記念行事の主な費用は楠ヶ丘会が全面負担し無事実施して、市当局に対し同窓会の存在を十分に顕示することができたと自負している。
余談になって恐縮ですが、懐かしい六甲学舎の校庭にあった櫻は、昭和27年3月17日の外大第1回卒業式の時に、私が櫻の若木180本を大学に寄贈したものである。その後盗まれたり、枯れたものも多数あったが、幸に生き残った木が大きく成長していた。 卒業して30年経って外大に勤務することになった私にとって、一番うれしかったことがあの「櫻の木の満開」が見られたことであった。しかし、残念ながら今はもう殆ど残っていない。
最後に一言、我が「楠ヶ丘会」がここまで発展できたのも、永年にわたり同窓会の裏方としてお世話いただいた、事務局の方々のお陰で「服部(諏訪)寅之助」「下井田悦夫」「桂 直弘」「丸山欽也」「永田淑子」の各氏に感謝の意を表したい。