リレーエッセー 第7弾

ジャポネーズとジャパニーズ

NY支部 鈴木聡子 学49KA

神戸市外大を卒業してから文化政策を学ぶため、フランスに3年間滞在した。 その間ほど自分が「日本人」であることを実感させられたことはない。 道を歩いていると「ラ・ジャポネーズ(日本の女の子)!」と声をかけられることはしばしばだったし、フランス人の知人からは日本の文化(着物を着る習慣や日本食のことから、漢字の使い方、習字、日本画、冠婚葬祭の儀式まで)について本当によく質問された。 文化政策を学んでいるといっても私は日本文化のエキスパートではないし、日本で生活するほとんどの日本人と同じ程度にしか、日本文化について知識がない。 日本人として見られる視線、日本人として答えを求められる質問に毎日向き合ううちに、これまでにないほど自分を日本人として認識するようになり、そのうち質問にはしたり顔で「日本人はね」、「日本ではね」などと答えるようになった。 思えば夏休みにパリにあるギメ東洋美術館でインターンをするようになったのも、日本文化について特に専門知識があったからではなく、日本人として応募資格があるように思ったからだ。 能についての文献を子供向けのワークショップの為にまとめる仕事を与えられたが、カンボジアやインドからの彫刻の方にむしろ興味があることを残念に思いさえした。

日本人としてのアイデンティティーを強く感じさせられた一方で、フランス社会で外国人以外の何者かとして受け入れられることの難しさも感じた。 言葉がどれほどできるようになっても私は「日本人」であり、どれほど時間が経ってもフランス人社会には属さないのだと言う事を生活のいたるところ、フランス人とのやりとりの節々で思わされた。 マリー・アントワネットの生涯をいかに詳しく説明できても、フランスチーズの産地をフランス人以上に言えても、良きフランス市民としては生まれつき失格だと宣言された気がした。 その代わりに日本文化を担う良き日本人であることを自然に自分自身に課していたのかも知れない。

去年、場所は変わってアメリカ、ワシントンDCのスミソニアン・アメリカン・アート美術館でインターンとして働く機会があった。 英語がネイティブではないインターンは私だけであったが、誰も"Which country are you from?" とは聞いてくれなかった。 その代わり、"Where are you from in the U.S.?" と聞かれたことがある。 私の英語を聞けばネイティブではないのが分かりそうなものなのにと思ったが、「どこの国から?」と初めて会った人に聞くのはpolitically incorrect(政治的に無作法)なのだそうだ。 移民国家アメリカでは育った環境や文化背景が人によって複雑に交錯しているため、「あなたの国は?」という質問が不躾に聞こえる場合があるだけでなく、まったく意味をなさない場合もあることに思い至った。 インターン中はその後も日本についての質問はされたことがなかった。 フランスで絶えず感じさせられた日本人としてのアイデンティティーはアメリカではIrrelevant(通用しない)と一掃されたわけである。 こうしてわたしは外国における日本人という「責務」から解放されたように感じた。

一方で、日本人ではない誰かとして外国で生活することもそれほど容易ではないことも分かった。 言葉の問題もその一つである。 英語ネイティブの対談のテープ起こしを美術館で頼まれたことがある。 丸1日かかって文章にできたのは約10分の会話だけ。 翌日別のインターンに頼むと、半日で2時間分の対談すべてを完結させていた。 この場合「日本人だからできません」というのはきっとおかしな言い訳になるのだろう。 「アメリカに来て間もないので英語がそれほどできないのです」というのが正しい言い訳になる。 (フランスだったらもしかして、日本人の私にフランス語のテープ起こしを頼むことさえ非常識に映ったかも知れないのだ。) ステレオタイプ的な日本人の枠から開放された私は、それ以外の誰かになるべくアイデンティティーの大海に放り込まれたように感じた。

私の体験をフランスでは、アメリカでは、という一般論に置き換えるかわりに、そこから生まれた疑問をここで共有したいと思う。 自分が国際交流の主体になるとき、ナショナル・アイデンティティーはどれほど国際交流に貢献するだろうか? ナショナリティを前提にしなければ国際交流は成立しないのだろうか? 違う国での違う経験を学びあうということが国際交流になるのなら、自分のすべての経験、視点、知識が交流の対象になり得るのではないか。 たとえば浮世絵の歴史を知らなくてもフランス絵画における浮世絵の影響を説明できることが新たな交流につながるのではないか。

現在はアメリカで、アメリカとヨーロッパの現代美術を勉強している。 日本文化から距離を置き、アメリカとヨーロッパの文化に向き合う毎日だ。 しかし良き日本人として日本文化を担わなくても良いと思った瞬間から日本美術に興味が沸いてくるのだから不思議なものである。

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2024年6月5日

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