「暴走老人」を読む
監査 渡辺 秋男 (II10EA)
情報化、高齢化社会の進展は、これまでに経験したことのないさまざまな社会問題を引き起こしている。 ここでは老人と社会の側面から、芥川賞作家の藤原智美氏著の「暴走老人!」(文芸春秋2007年8月発行)を紹介し、今老人たちを取り巻く環境と社会問題について考えてみたい。
老人を何歳以上というかは別として、論語には「六十にして耳順う」、「七十にして心の欲するところに従って、矩を超えず」とある。 一般的には老人は年齢とともに分別がつき、精神も知性も成熟してくるとされ、凶悪な犯罪などを起こすのはたいてい若者で、高齢者は被害者とみなされることが多い。
本書は、実は最近「キレやすく」凶暴な老人が少なくなく、著者は自身の体験や取材をとおして多くに事例をあげ、周囲と摩擦を起こしたり、暴力的な行動に走る老人を暴走する「新老人」(暴走老人)と名づけている。 犯罪白書によると若者の凶悪犯罪が減少しているのとは反対に、刑法犯で検挙された者のうち65歳以上の高齢者の数は、平成元年から5倍に増加(高齢者の人口の増加は2倍)しているのである。
一体、「新老人」が暴走する原因は何なのか、著者は彼らが社会の情報化などの変化に対しスムーズに適応できないことに大きな要因がある。 社会のスピードと質がこの半世紀によって著しく変化し、現代社会の生活スタイル・人々の態度や考え方・精神の変化に適応して生活していくことに苦労するという困難さから生じているという。
具体的には、「時間」、「空間」、「感情」の秩序変化からきており、これに不適応・不適合を起こしたとき想像もし難い行動に走るのである。
▽ 「税務署で怒る老人」 - 「時間」
確定申告に税務署を訪れた老人が、医療費の領収書を揃え差し出したところ、署員が領収書の束を役所が用意した袋に無造作に放り込んだ。 これに対し、突然、男性が大声で「アンタ!失礼じゃないか」と大きな声を張り上げ、さらに受付台をたたきながら、「いったいなんだ!お前じゃダメだ、責任者を呼べ」と。 恐ろしい剣幕で怒り続けた。
著者は、この事例を「時間」というテーマでとらえ、人は日常「待つこと」で占められており、人生は多くの待つ時間で構成されている。 「待つこと」(待たされること)は、ストレスのかかることには違いないが、「待つこと」は、喜びや幸福感、快楽を人々に与えるものである。 人は、「待つこと」を失ったとき、生きる力を失い、「待つこと」がない人生は、間違いなく不幸であろうという。
▽ 隣人殺人事件 - 「空間」
新興住宅地のベランダで干していた布団をたたいていた60歳の主婦が、隣家に住む62歳の男に射殺された。 被害者と加害者とは、数十年前からの付き合いで、日頃からいろいろな面で競い合い、トラブルが継続的に発生していた。 そして、必ずしも加害者にばかりに非があったということでもなかったようだ。
事件当時、加害者の妻は介護を要するため入院していた。 一方被害者の夫は単身赴任中で、一戸建ての隣り合った家は、それぞれが一人暮らしで、いわゆる、高齢者社会にどこにでも見られる独居する老人たちが、隣りあわせで生活していたのである。
▽ スターバックコーヒーにて - 「感情」
スターバックスコーヒーに代表されるコーヒーショップでは、注文カウンターでメニューを選び、備え付けの砂糖・ナプキン・スプーン等を取り自分の席を探し陣取ることとなる。 ところが、まごつくのが「注文」なのだ。 コーヒーといっても種類・サイズなど、古いスタイルの人間には躊躇しうろたえることになる。
老人達は店の雰囲気に何となく馴染めず、とりあえずコーヒーを飲むという欲求を満たしたところで早々と席を立つ。
店ではマニュアル化されたオーダーシステムやラインシステムに順応できるよう、お客を教育しているのであるが、老人には決して居心地のよい「憩いの場」ではない。
老人を取り巻く環境は、このような中で、社会的・経済的弱者として生活や健康の不安を強いられている。 老人たちの暴走もこれらに対する苛立ちと防御の一面ではないだろうか。