リレーエッセー 第72弾

雑魚たちに乾杯!

近藤 馨(学24EA)

砂浜から大海原めがけて大遠投。 あるいは突堤もしくは岩場でミャク釣りの糸を垂れる。 時に夜の電気ウキに神経を集中したり、漁船に乗り込み大物狙いの釣りをすることもある。

釣り糸をピンと張って海の底からのアタリを待つ。 リールを1〜2回廻して相手の反応を探ったり、はたまた餌を大きく動かして喰い気を誘う。 竿先に感じる微妙な変化。固唾を飲む瞬間だ。 ビンビンと大きな手応えがあるのがキスのアタリだ。 相手の反応に竿を手繰るとぐぐっと竿が重くなるカレイ。 電気ウキがグイっと沈み込んだら、糸の張りを一瞬でも緩めると糸を切られてしまうセイゴ(マダカ)。 グイグイ引っ張るクロダイ。船から狙うメバルのアタリは微妙で、また格別だ。

子供の頃、釣り竿というほど立派な竿もなく、竹林から竹を切り出して川釣りをしたのが始まりだった。 釣果はそれなりにあったはずなのに、ミミズや魚を触った後の臭いが嫌で、入れ込むほどの魅力とはならなかった。

それがなんと、海釣りにはまり込む切っ掛けを与えてくれる先輩がいた。 教員になって何年か経ったある9月のこと、ハゼ釣りに誘われた。 なんだハゼかと笑われそうだが、人生初の「入れ喰い」体験をしたのだった。 ゴカイを付けて投げ入れると直ぐにアタリがあり、あれこれ考える暇もないままクーラーが一杯になった。 その直後、今度は伊良湖西浜でのキス釣りに誘われ、これまた「入れ喰い」状態! アタるわ、釣れるわの大忙し。 面白いように掛かってきた。それも、キス・メゴチ・ゼンメ・カレイ・小ダイの五目釣り。 魚臭さはもとよりゴカイやら青ムシの気持ち悪さも吹っ飛んだ。 「もしかして釣りの天才かも…」なんて、心の中では叫んでいたのかもしれない。 爾来、海を見ないと、潮の香りを嗅がない日々が続くと、イライラが高じて仕事が手につかない状態になる。

学生時代を神戸の港町で過ごしたが、釣りとは無縁の生活だった。 それが、久しぶりに懐かしい面々と再会すると、船釣りにのめり込んでいるもう一人の先輩がいた。 こちら、週一回は竿を出さないと気が済まないほどの「釣りキチ」に変身していた。 「神戸釣り倶楽部」なんてものを結成するに至る(『神戸釣り倶楽部』平凡社刊参照=木村栄一前学長著)。 誘われるがままに、明石大橋の下で釣り糸を垂れると、なんと釣り上げたメバルの大きかったことか! 「どや、止められんやろ」とは「釣りキチ」大先生の弁。釣り上げた魚を頬張り美酒を煽りながら、釣り談義が始まる。


だが、素人の馬鹿アタリ「ビギナーズ・ラック」はここまでで、そう毎度毎度良い思いをさせてもらえた訳ではない。 文字通り「つれない」思いをすることの方が多くなる。 餌を付け替えても、タナをいろいろ変えても、仕掛けや竿まで変えても、全くアタリがなく無為に時間だけが過ぎていく。 先の『神戸釣り倶楽部』によると、「釣りは、つれないから面白い」し、「釣り人は釣れない時に、哲学者になる」というが、どうもそれほどの度量の持ち主でもない。 クーラーにしのばせた缶ビールに手が行ってしまう。 もう、こうなると釣りなどどうでもよくなり、晴れ渡った青空の太平洋上で宴会が始まる。

高校時代の友人に船舶免許を持つ者がいて、彼の運転するレンタルボートに乗り込んで、年1〜2度伊良湖水道を越えて神島周辺まで出かけることがある。 砂浜や突堤からより大物を狙う釣りとなる。 神島は、三島由紀夫の『潮騒』で知られる島だ。伊良湖からの方が距離的には近いのに、なぜか行政区画では三重県に位置する。

言うまでもなく、この周辺では魚影が濃い。アタレば、大物が掛かってくる。 だが、潮の流れが早いので、たかだか水深30メートル程のところだが、オモリが底に落ちるのにその3倍くらいの糸を出す羽目になる。 大潮・中潮の潮の流れだと、タナがとりにくく釣りにならないことが多い。 潮どまりのほんの一時、もしくは小潮の時にタイミングを合わせて入らなければならない。 なかなか思うようにはいかないものだ。

稀に、マダイにクロダイ、アジにサバなど、それこそ見たこともないようなサイズが上がる。 天然もののトラフグだって40センチオーバーが来る。 料亭へでも持っていけば2万円はするという代物も、フグ免許のない素人には無用の長物。レリースするしかない。

だが近頃、和食レストランを始めた教え子の存在を知り、釣った後の楽しみができた。 傷みが早いと言われるサバも、下船と同時に絞めてそのままレストランに直行すれば、新鮮なままのサバ料理が堪能できるのだ。 教え子シェフにはいい迷惑かも知れないが、一度味わったら止められない。

「キャッチ&レリース」という言葉がある。無益な殺生を避け、また生物資源の保護という観点から釣った魚をその場で水に戻す行為だ。 逃れようと必死にもがく魚を引っ掛け回し、散々弄んだ挙げ句に水に戻す!? 何という残酷な行為だろう。 そんなのは紳士的なアングラーのすべき行為ではない。 魚をいたぶるだけの釣り師は、潔く竿を折るべきだ。 たとえどんな小魚でも釣り上げてしまった限り、「食する」のが釣り師の義務ではないか。

かれこれ釣り歴30年を越える立派なキャリアーを持つからには、釣った魚をサバくのがアングラーたるものの当然と、それなりに出刃包丁が扱えるようになった。 自分が釣り上げた魚なら、どんなに小さかろうと最高に美味しいものだ。


釣りには、気の短い性分が合うという。自らを短気だとは思っていないが、周囲で釣れているのに自分の竿にアタリがないと、餌を確認し出したり、投げ入れる場所をあちこちと探り出している自分がいる。 なるほど巧いことを言うものだ。どうやら、竿を握ると気が短くもなるのだろう。 だが要は、集中力が持続するかどうかの問題なのだ。 まさか、アタリを待ちながら眠ってしまう間抜けな釣り師などいないだろう。

竿先にアタる自然との対話。どんなに小さな反応も見逃さぬよう神経を集中する。 チョンチョンとくるか、ピクピクとくるか、はたまたドド〜ンとくるか……。 その一瞬が、何と言いようもなくシビレるのだ。 「きっ、来たぞ、来たぞ!」と竿を少し手繰る。すると、今まで以上に激しい動きが伝わり、竿先が大きくたわむ。 ここで、釣り師の顔に笑みがこぼれる。 後は、魚の動きに応じて水面まで手繰り寄せるだけ。 水の中からどんな顔が現れるのか、ワクワク、ドキドキの瞬間だ。

水中遥か彼方から、ほんの何ミリかの一本の糸で繋がる人間と自然界との調和。 今まさに未知なる生き物の姿が顔を出す。水面に眼を凝らすと、うっすらと赤い魚体が見え隠れしている。 「やった」と思った直後に現れたのは、真っ赤なカサゴ! またまた、新たなる外道だが、それはそれは美味い雑魚さんだ。 改めて、雑魚さんに乾杯!

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2024年6月5日

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