まだまだ修行中
松本 佳也(学39EA)
2020年の東京オリンピックに向けて様々な技術の研究が進められている中で、最近のニュースで、 新しい音声翻訳システムが紹介された。首から掛けた小型端末が話し言葉を認識し、 それを数秒で翻訳して再生するのだそうだ。 装置に文字を入力して翻訳するシステムは以前からあるが、新しいシステムは、更に手軽に、 また手が塞がっているときでも使うことができる。 将来は10種類の言語に対応することが予定されており、翻訳の精度を高めるための研究も更に進められるそうで、2020年にどのようなシステムになっているか楽しみだ。
文書の翻訳では機械翻訳が既に身近なものになりつつある。 システムは様々で、特別なソフトウェアを用意しなくても、インターネットで簡易な翻訳ができることもある。 まだ品質のばらつきは大きく、不自然な訳文しか出てこないときもあるものの、これからますます改良されていくのだろう。
私は仕事で翻訳にも関わっているのだが、 これから機械翻訳がさらに普及したときに、翻訳者が手をかけなくてはならない部分は何か考えない訳にいかない。
文書を翻訳するときは、原稿の書き手の意図にぴたりと当てはまる表現を見つけ、 さらに正確であると同時に読みやすい訳文を作ることを目指している。 うまくいったときは、たとえそれが愛想のないビジネス文書でも嬉しい。 専門用語や微妙なニュアンスを訳すために、文献やインターネットの情報を調べるのも楽しいと思う。 細かなことをコツコツと積み重ねる、ある意味では職人のような仕事だと思っている。
その一方で、顧客からの時間短縮とコスト削減の要望は次第に強くなっている。 だから機械翻訳が普及するのは、当然の流れだと思う。 「ある程度、内容が分かる」レベルが必要なのであれば、機械で十分という日は近い、または既に来ているだろう。
人工知能等の高度な技術の研究が進められる結果、将来、 仕事の多くが機械に取って代わられるだろうと言われている。 人が行う必要があるのは、機械にできない創造的な仕事だという。 時に機械の力を借りながら、どのようにして創造的な仕事をするか。これからも修行は続く。