リレーエッセー 第99弾

関空、個人情報、呼び出し

佐藤 晴彦(修2C)

久しぶりの関空

6月5日、久しぶりで関空に行った。用件は北京大学の蒋紹愚先生をお出迎えすることだった。

蒋紹愚先生と言っても、皆さんには馴染みがないだろうが、 本学との関係で言えば、太田辰夫先生の『中国語歴史文法』を中国語に翻訳された先生と言うと、 多少親近感をもっていただけるかも知れない。

蒋紹愚先生は清華大学の教授も兼任されている中国近代漢語(唐五代から清初までの中国語のこと) 学界の大御所である。「大御所」と言っても非常にきさくな方で、86年10月、 上海教育学院で開催された「第二届近代漢語国際研討会」(第二回近代漢語国際シンポジウム) で初めてお会いしてからお付き合いしていただいているが、それ以来毎年のように年賀状をくださる、大変律儀な方でもある。 個人研究で優れた論文、著書を多数出版されているほかに、近代漢語研究の歴史、 現状を総括された著書も2,3冊出版されている。その先生が、 6月6日の中国近世語学会で講演していただくことになったので、前日にお出迎えに行ったというわけだ。


到着時刻の齟齬

先生からのメールでは、5日の11時20分到着、フライト名はMU525とのことだった。 遅刻してはならじと早めに出かけ、11時に関空に着いた。 早速到着ボードを確認してみたが、11時20分着のMU525なんて便はない! 「そんなアホな!」と思ってずーーとボードをたどって見ていくと、 「あった! 北京発MU525!」しかし、なんと、到着は14時となっているではないか!!! 「ええ! ウソだろう!?」と思いつつ、何度も何度も見直したが、MU525はやはり14時到着の便しかない。 今にして思えば、これがケチのつき始めだった。

念のためにと思って、蒋紹愚先生からのメールを確認してみた。 初めは14時着となっていたが、最後にもらった直前のメールでは、間違いなく11時20分着となっていた。 だが、現実では14時着となっている。こりゃ一体どうなっているんだ?

「今から14時までなら、3時間も待たねばならないな。 一旦、宿舎の新阪急ホテルに帰ろうか?」という考えが頭をよぎった。 関空から梅田までは往復2時間だから、確かに時間つぶしにはなる。しかし余計な往復をすることにもなるし、バス代もよけいにかかる。 「まあ、しゃないか。」と意を決して空港で待つことにした。




6月6日学会で講演される蒋紹愚先生(於関西大学)

スターバックス

改めてボードを見てみると、その時点でMU525は「10分遅れ」の表示が出ていた。 暫くして、また見ると、15分遅れとなっていた。次に見ると18分遅れ、その次見ると19分遅れとなってきた。 「一体、何分遅れになるんや?」と一人つぶやいていた。

こうなりゃ辛抱強く待つしかないと腹を決め、 近くにあったスターバックスでコーヒーを飲むことにした。 店員が、「レシートご入り用ですか?」と聞くので、「いらない。」 と返答すると、「このレシートがあれば、2杯目は\100になりますが。」と言う。 「それならもらうわ。」と言ってもらっておいた。

こんな時のためにと思って、蒋紹愚先生の『近代漢語研究概要』を持っていたので コーヒーを飲みながら読んでみた。やはりよくまとまっていて、面白い。 ご自身の研究のほかに、よくこれだけ研究の情況を把握できるものだと改めて感心する。 お蔭で待つことがさほど苦にならなくなった。コーヒーを飲んでしまったので、 「2杯目がほんまに\100になるのやろか。」と半信半疑で2杯目を注文してみた。ほんまに\100だった。 これまでスターバックスはあまり利用しなかったが、これでいっぺんに好きになった。

そうこうしているうちに、ようやくMU525の到着ランプが点滅し始めた。 どうやら空港には着いたらしい。確か14時15分くらいだったような気がする。 「中国の空港と違い、日本だから、30分もあれば出てくるだろう。 そうすれば15時くらいのリムジンに乗れるな。」と皮算用をしながら、 乗客が出てくるドアの方をじっと見つめていた。 しかし、待てど暮らせど蒋紹愚先生が出てこない。だんだん不安になってきた。


個人情報

新阪急ホテルで待っている人たちが心配しているだろうと思ったので、 「まだ会えない。」とメールを打つと、「ひょっとして何かの事情で、 この便に搭乗されなかったのかも知れないから、一度航空会社に確認されては?」 という提案があった。なるほど、それもそうだ。確かに、北京で搭乗されていなければ、 いくら待っても来るはずがないわけだ。そこで1階の到着ロビーから4階の出発ロビーへ行き、 「中国東方航空」のカウンターで、 係員に「MU525便に北京大学の蒋紹愚先生が搭乗されたかどうか確認してもらえませんか?」と頼んだ。



関西大学図書館見学後、館長室で(前列左より、内田慶市館長、蒋紹愚先生、筆者)。

すると、係員、「それは個人情報ですので、お教えできません。」との返事。 「ええ!? こんなことも『個人情報』? 人が一人、北京で搭乗したかどうかも教えてもらえないの!? これのどこが『個人情報』なん!?」と、予想外の返答だったので、呆気にとられた。 そこで食い下がって押し問答しても埒が明かないと思ったので、その場は引き下がった。


呼び出し①

15時15分くらいだったろうか、どうしても会えないので、 案内係で呼び出してもらうことにした。案内係の女性は、呼び出す相手が中国人だと分かると、 すぐにどこかに電話をかけ、「王さん、呼び出しお願いします。」と言うのが聞こえた。 蒋紹愚先生のお名前をどういうふうに伝えたかはよく分からなかったものの、間もなく、 "…蒋紹愚先生,聽到這個廣播後,…"(…蒋紹愚先生、このアナウンスをお聞きになれば、…) という聞きなれたフレーズが流れたので、「これで大丈夫だろう。」と、ホッとした。 ところが残念ながら呼び出しの効果はなく、蒋先生は現われなかった。

自分の心の中で葛藤が始まった。「このまま帰ろうか?」、 「アホ言うな。ガキの遣いじゃあるまいし、『会えませんでした。』って、おめおめ帰れるわけがないやろ!」、 「それなら何時まで待てばいいんや?」、「そんなん分からん。会えるまでや。」という具合だ。


呼び出し②

15時45分くらいだったろうか、その時点でもまだ会えないので、 流石に焦ってきた。そこで、もう一度呼び出しをお願いしてみた。 そうすると先ほどとは受付嬢が違っていた。その受付嬢が、「お名前にローマ字を書いてください。」 と言う。「へえ、さっきとは違うな。」と思いつつ、ついでだから「北京大学」 も入れてアナウンスしてもらおうと思い、 "Bĕijīng Dàxué de Jiăng Shàoyú xiānsheng" (北京大学の蒋紹愚先生)と書いて渡した。 すると受付嬢、「お名前だけで、所属はアナウンスできません。」と言う。 「へえ、こんなこともアナウンスしてもらえないのか。これくらいサービスしてくれたっていいのに。」 と思ったが、何も言わずに引き下がった。「しかし、なんでこんなピンイン(中国語の発音記号)を書かねばならないのだろう?」 と訝しく思っていた。が、アナウンスが始まりその理由が氷解した。



京大講演後の会食(左、奥から平田昌司教授、木津祐子教授、緑川英樹准教授;
右、奥から藤田益子新潟大学准教授、蒋紹愚先生ご夫妻、筆者)

なんとその受付嬢がたどたどしい中国語でアナウンスを始めたではないか! まあ、ある程度の発音の訓練を経たことは分かったが、これじゃ、 中国人が聞いて理解できる発音じゃないなと思った。 「今の発音じゃ、ご本人がアナウンスを聞いても分からんでしょうな。」、 「私が呼び出ししますから、マイクを貸してください。」と口まで出かかっていたのを、 とりあえず抑えて、何も言わなかった。受付嬢のプライドを傷つけることになってもいけないし。


研修

実は、私も20年ほど前、関空開港直前にあるところから依頼を受け、 職員の研修期間中、中国語を10時間ほど担当したことがある。 今でもそうした研修が行われているだろうから、職員が中国語の訓練を受けていることは分かる。 しかし、10時間という短時間では決して中国語の発音を習得することはできない。 それくらいで中国語の発音が習得できるのなら、外大生は苦労しない。 自分の発音を聞いている人たちに分かってもらえるレベルにもっていくには相当の訓練が必要である。 例えば、外大生のように、週6コマ勉強し、早朝の発音特訓に皆勤で出席したと仮定して、 安定した発音ができるようになるのに、 ごく一部の例外を除いて、普通なら、最低2年はかかるだろう。

特に呼び出しをするのであれば、その音声だけが頼りだから、よほど訓練を重ねないと、 まず理解してもらえない。理解してもらえなかったら、その呼び出しはなかったのと同然である。 呼び出しを依頼する側は、よほどのことがあって、背に腹は代えられないという気持ちでお願いするのである。 そこらあたりを理解してもらいたい。よもやあの程度の発音で自信満々で呼び出ししているのではないと思うが、 もし自信満々で呼び出ししているのであれば、それは大きな誤解である。もし自分の発音に自信がないのであれば、 素直に本国人に依頼する方がはるかに良心的だと言える。もちろん、 さらに自分の発音に磨きをかけ、本国人に理解してもらえるレベルに到達するのが理想的ではあるが。


蒋紹愚先生だ!

受付嬢の発音のせいかどうかは分からないが、 結局、蒋紹愚先生には会えなかった。その頃はもう16時を過ぎていたと思う。

「もうこれ以上は無理だ、待っておれない!」と思って諦めかけて、ひょいと前を見たら、 どこかで見かけたような小柄な人の後ろ姿があるではないか。 「もしや!」と思って軽く肩にふれてみると、その人が振り返った。「蒋紹愚先生だ!」 と思わず小躍りした。ご夫人もすぐそばにおられた。その時の嬉しさはひとしおだった。 それもそうだろう、待ちも待ったり5時間! 5時間という長い待ち時間もふっとんでしまうような喜びだった。

安心するとともに、今まで張りつめていた身体全身の力が一度に抜けてしまう、そんな気持ちだった。 しかし、待てよ。ということは、蒋紹愚先生がゲートから出て来られたのを、俺は見逃していたの? あんなに凝視していたのに? まあ、いっか、何だかんだと言っても、お会いできたのだから。

それにしても、なぜこれほどまで遅かったのか不思議に思ったので、いろいろ尋ねてみると、 便そのものが1時間遅れだったそうだ。その上、税関で手間取ったらしい。 係員が非常に丁寧な人だったらしく、一人に多くの時間がかかり、 結局出てくるまでに1時間かかったということだった。念のために、 「場内アナウンスは聞こえましたか?」と尋ねてみると、「聞こえなかった。」とのこと。

因みに、14時着を11時20分着と知らせてきたのは、蒋紹愚先生の単なるミスだったということが分かった。 研究面では素晴らしい業績を挙げておられる先生でも、こういう単純なミスをすることもあるのだなあと、 妙なところで感心した。普通、これだけの間違いをされたら腹が立つものだが、 蒋先生に対しては不思議なことに、全く腹が立たない。 これも先生の人徳の致すところというべきものであろうか。

情報が入らない中で待つというのは、 精神的、肉体的に非常に疲れるものだということを、我が身を以って実感した。


素晴らしい講演

これだけ待ったからかどうか分からないが、先生の講演は6日の学会も、8日の京大のも非常に面白く、 且つ刺激的だった。学会など、普段であれば参加者は30名そこそこであるが、 今回の参加者は60数名と、普段の倍になった。 これは間違いなく「蒋紹愚先生効果」というべきものであろう。

丸五日間という強硬日程を無事消化され、9日、「関空までの見送りはご無用。」 と固辞される蒋紹愚先生の言葉を無視して、関空までお見送りした。 5時間待つのに比べれば、見送りなんて楽なもんだ。 「会えない」なんて心配は絶対ないわけだから。かくて蒋紹愚先生ご夫妻は無事、北京に戻られた。 先生の講演を拝聴した人たちに強烈な印象を残して。

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