リレーエッセー 第108弾

汽車の旅と読書

山田 晶一(学11P)

母校・神戸市外大の創立70周年記念を大きな喜びと共に、心からお祝い申し上げます。


思えば母校・神戸市外大ロシア学科を卒業して早や54年という半世紀以上の年月が経過し、 私も年老いました。卒業当時、本好きの私にとって読書くらい"日常の仕事の疲れを取り去り忘れさせてくれるもの"は、 他にありませんでした。それも、読みたい数冊を持ち一人で孤独な汽車の旅に出る…。 あまりにも乙女チックな、と笑われたかも知れません。実際は、いつも商用での出張の旅でしたが、 "列車の座席に深々と身を沈め好きな読書に浸る"この楽しみ。未知の世界や思想への驚き・感動そしてその作品の豊かさが、 静かに心を満たしてくれます。この片時の安らぎが、仕事で疲れ果てた心を癒してくれたのです。


この「汽車の旅と読書」という変わった題のエッセイですが、 今から半世紀余りも前の私の青春時代を思い出します。神戸市外大卒業後すぐに、 亡父が大赤字と共に残した家業(板ガラス・鏡等の加工・施工・卸販売業)を継承しましたが、 毎日資金繰りに追いまくられ、倒産寸前の零細企業の生き残りを賭けて、 15名余りの従業員ともどもの悪戦苦闘の時期でした。当時の私は、毎日高利貸しに追いかけられ、 若輩で商売の経験もなくまさに生き地獄でした。経営の苦しさから夜も寝れずに悩んだ結果、 自力での企業再建はあまりにも負債が大きすぎて、絶対に不可能であることを認めざるを得ず、 全てを捨てて他人に頼るしかありませんでした。それで、一か八か100%倒産を覚悟したうえで、 当時の主要仕入先である某大手板ガラスメーカーに全面的な支援を要請しました。 常識的には断られて当り前でしたが、 奇跡としか言いようのない全く思いも寄らなかった資金的援助を頂くことに成功し、 九死に一生を得ました。


ところで当時当社の商売の領域は、 勿論大阪を中心とする近畿圏が大部分を占めていたのですが、 その他の地域として日本海側の山陰地方、そして新たに大阪から大変な遠隔地である雄大な大自然溢れる北海道市場の開拓に、 苦しい経営の中にあっても未来を見つめ目を向けていました。 何故、よりによって北海道市場なのかということの根拠については、 少し後の文章で説明させて頂いております。


話を元に戻しまして、いつも市場開拓という商用での出張ということになれば、 日常の苦難に追われて汽車の時ぎりぎりまで仕事をこなし、 くたくたに疲れて汽車に乗り込み座席に深々と腰を下ろすと、 もうそこには全ての現実から解放された自分だけの何よりも楽しみな読書の世界が待っていました。


ある光景を思い出します。長い汽車の旅で読書に疲れ、窓の外に目をやりました。 走り過ぎる田園風景・夕日を受けて広大な地平線の樹林の間から赤く光を放つ木漏れ日・虹色に染まった山々 ――何とも言えぬ懐かしさに恍惚となりました。 あの当時汽車の旅で読んだ数多くの本の中で魂の奥深く私の心をまず捉えたのは、 トルストイの晩年の作品でした。 特に、明星高校から神戸市外大時代に私を人生の「虚無感」と「無意味さ」という精神的な『死』から脱して 魂に"愛という生命"を与えてくれたトルストイの晩年の作品は全て、社会性を視野に入れた 『キリスト教的隣人愛』による自己愛を捨てて理性的意識に生きることの真理を論じたものでした。 キリスト教義の擁護のみに向けられた作品とは少々違った、トルストイの芸術性豊かな論旨と表現で "人知を遥かに超えたキリストの愛"を訴える自己犠牲の思想に強く心酔していました。 現在に至るまでその影響で「自分の人生観と仕事(現在は相談役の身の上ですが)の関わりを 最大限一致させた生き方をしたい。」との思いで生かされております。 他のトルストイの『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』などの世界最高作品、 そしてチェーホフの短編・戯曲、それにツルゲーネフ・プーシキン・レールモントフ等々のロシア文学、 そこに描かれた大文豪の筆による広大なロシアの大自然と土の香りが、 繊細を極めた抒情性豊かな作家の写実的描写で私の心を捉えて放しませんでした。 特に、チェーホフの多くの作品の科学的とも呼びうる客観性とそれと相反する抒情性 ――チェーホフの作品はどんなペシミスチックな印象を与えるにしろ、 一種微妙な人間への温かさが滲み出て、特に戯曲に於いては未来に対する希望を全ての人に抱かせるほどの 魅力を感じました。また、ツルゲーネフの「猟人日記」の写実的な素晴らしい詩的な自然描写を背景に、 暗い悲惨な動物的生活に生きる農民を描写しつつ、また同時に農民の美しい人間性を詩的憂鬱感に満ちた 懐かしさでもって描いていること等々、まさにロシア文学は『人間如何に生きるべきか』を問いかける 青春の文学だと思いました。大学時代、不勉強であったため、 全て、原文ではなく、翻訳本でしたけれど。


しかし、トルストイと並ぶ文豪ドストエフスキーの作品については、 当時の若い私には極めて難解で、車中で読んでいても全然分かりませんでした。 旅行中に唯一ドストエフスキーについて、うら悲しくて懐かしい忘れられないエピソードが一つあります。 それは、二月、雪が降りしきる酷寒の真夜中の青函連絡船で函館に向かう乗客の殆どいない 三等船室の座敷の片隅で、たまたまドストエフスキーの屈指の名作『カラマーゾフの兄弟』を 良く分からない乍らも読んでいたところ、座敷中央で車座になって酒盛りをしている老若男女10人余りの 一行から声を掛けられました。波静かな夜であまり揺れのない船室でした。 「そこの兄ちゃん、本ばかり読んでないで、酒でも一緒に飲もうや」と。 一行は炭鉱町夕張のキャバレー専属の素人(?)劇団で、青森地方への『慰安旅行』の帰途でした。 その中のインテリそうな(失礼!)年配の男優(?)に私の読んでいた本を取り上げられて 「兄ちゃん、お前は偉い男やなあ。こんな難しい本読んで分かるの?」と言われ、 「俺も若い頃(自称北海道大学中退者と言ってました)に、この本を読んだがよく理解できなかった。 しかし『大審問官』の章を読んで俺は感じた。少し堅苦しい話になるが、 キリストを除外した社会主義は科学を味方にして、 第一にパンのことにのみあくせくし(物質的欲望と満足のみを目指した唯物論的社会主義体制)、 そして人間の不幸の原因は「全て貧困と醜い自己中心の生存競争」にありとの "荒野での『悪魔』の誘惑"に対してキリストは『人はパンのみにて生きるにあらず』の理念から 人間に精神的な生活(芸術、文化、そしてキリスト教的ともいえる無条件の愛の交わり)のような ものがなかったら、人間は行き着くところ下等な動物になってしまって苦悩のあまり 自殺してしまうのではないか、との思いを秘めてキリストはその場から一言も言わずに、 静かに『大審問官』の前から(苦悩と悲しみの中)で退去されたではないかと思う…」と、 よく記憶はしていませんがこのような主旨のことを酒の酔いに任せて言いたてられ、 他の仲間が中に入り私に頭を下げ、「ここは大学の教室ではないんだぜ。もっとみんな愉快に飲もうや、 ねぇ兄ちゃん!」と盛んに強い酒を勧められたのを未だに覚えています。 でも、この年になってドストエフスキーを少々学ぶにつれ、この夜のことを一抹の淋しさをもって 思い出します。私は当時から、自称ユートピア的で 『キリスト教的民主社会主義』を強く信奉していましたので、 その文学者肌の中年男性のその当時流行の"教条主義的で唯物論的思想"との本人の心の葛藤が分からず 未だにすまなく思っています。でも、函館港での別れの際には、数人から


До свидания〔さようなら!〕とロシア語で手を振られました。


その他全ての19世紀の文学の特徴――『社会性』とトルストイの作品に多く見られる 『冷徹なリアリズム』が、否が応でも私に、当時の我国の抱える『社会的不平等』と 『ロシアの風土に似た北海道の原野に生きる開拓農民の凄まじい貧困』にも目を開かせてくれました。 日常に忙殺され再建途上の苦悩の中での、時には煤だらけになっての汽車の旅は、 私にとってささやかな安らぎと思索の場を与え、さらに私の『動く書斎』のようなものでありました。


他に印象に残っている本としては、 アメリカのジャーナリスト:ジョン・リードのソビエト・ロシアの十月社会主義革命について、 世界中の広範な人々によって広く読まれている古典的名著『世界を震撼させた十日間』があります。 この本は、レーニンによって「全ての国の労働者達に心から推薦する。」という最大級の賛辞を受けた とも言われています。私は、この本からロシア十月革命について実に多くを学び・教えられました。


他にもう一人私に強い印象を与え、その後の私の半世紀に及ぶ『人間性尊重の経営』の "バイブル的存在"ともなった、19世紀初めのイギリス産業革命の先端を進む紡績業者として 目覚ましい経営の才覚を示し、経営者の限界を超えて労働者の福祉・地位向上の為に非常に多くのことを なしたと言われる歴史的に偉大な人物―それは、イギリスの産業革命の風雲児ロバート・オウェンのことで、 彼の有名な『自叙伝』に私のその後の企業経営に実に多くの実践的な示唆を受けたか 計り知れないものがありました。ロバート・オウェンは『ユートピア社会主義者』とか 『イギリス社会主義の父』と呼ばれ、協同組合を作り、協同主義に基づく理想社会実現の情熱家 でもありました。


また、経済福祉政策に詳しい民主的社会主義者の学者として有名な関喜彦氏の 『イギリス労働党史』などからも多くを学ばせて頂きました。また他に、少し後日になりますが、 スウェーデンのアドラー・カールソンの『機能的社会主義』からも北欧の民主的社会主義について 多くを教えられました。その他多くの古典を"出張中"に読ませて頂いたのは私にとって本当に幸せでした。


さて前述の主要仕入先からの思わぬ資金援助を得てからちょうど5年余りで、 幸いにも社員はじめ取引先の絶大な情熱的とも言える協力と血の滲むような努力によって 企業再建に苦闘の末成功し、膨大な累積赤字を償却することが出来ました。この喜びは、 生涯忘れられないでしょう。そして、1969年(神戸市外大卒業後7年目)に北海道札幌市に思い切って 念願の事業経営目的で支店を開設しました。従って、もはや私にとって読書三昧で楽しかった汽車での 北海道への長時間の出張旅行は、事実上なくなりました。航空機での出張が一般的になったこともあって、 当時の思い出だけが懐かしさとともに心に残るような時代になりました。


ここで、どうして私が北海道市場への進出を企業経営の苦しい時代から目指していたかを 説明致しましょう。それは、私が神戸市外大三年生の頃にふと目にした新聞記事から、 当時の北海道のオホーツク沿岸の或る開拓村が二年続きの冷害で、飢えに苦しむ子供達の悲惨な生活を 知り、なぜか心に耐えられないような痛みを覚え、その子供達への給食支援を思い立ち、 アルバイト・募金等で支援活動を始めました。勿論、現地をも夏休みに訪問しました。そして、 あまりにも厳しい現実を目にしました。この活動がきっかけとなって、雄大な北海道の自然の魅力に とりつかれ、大学卒業後は何が何でも北海道に事業経営目的で進出したいとの思いから、 北海道市場開拓と市場調査で大学卒業後7年近く、当時のことですから汽車で煤煙に顔中汚れ乍ら長期の 『読書旅行(?)』をしていたわけです。でも素晴らしい思い出です。


余談ですが、我社の社員への『利益分配金制度』と北海道の僻地の虚弱児童への支援活動は、 離農者の続出による村の廃村後もほかの地域で飢餓に苦しんでいる子供達へのささやかな支援― 『社会連帯支援金制度』という名称のもとに現在も継続しています。この世の実利的で現実的効果のみを 求める"価値基準"は、経済社会では当り前で常識とはされていますが、『キリスト教的隣人愛』の "価値基準"を少しでも知って生きようとすることは、私たちに時として逆に内面に百倍もの"財宝"を 与えたのと同じで、私達に本物の実り豊かな人生を発見させてくれるのではないでしょうか。 (読書旅行での「新約聖書」は特別として、実に多くのヒューマンな文学作品その他が、 未だに私の心の中に息づいているような気が致します。)


そしてあの苦しかった企業再建期の中、唯一の心のオアシスとして、長い出張旅行での読書から 経営面に於いても、現代の経営実践書では到底学び得ない多くの魂の籠った実り豊かな知識を、 特に経営理念の面で修得することが出来たことを感謝致しております。


さて神戸市外大卒業後54年目の現在の我社は、社員100名余り年商およそ30億円の中小企業に 成長しました。思い出せば再建期の最も苦しい時期に、全社員15名に膨大な累積赤字の決算書 その他全てを公開し、前述で詳しく触れましたように「過去の赤字は度外視して、その期の利益の 25%を年二回の賞与とは別に支給する。」(『利益分配金制度』の始まり)との約束と民主的経営の 徹底と、それに加えて利益の5%は私達よりさらに最も支援を必要としている人―当時の北海道のある 僻地の泥流地帯に入植した開拓村の虚弱児童達への食糧援助に、ささやか乍らも目を向けること (後の『社会連帯支援金制度』の始まり)に同意を求め、全社員を驚かせました。


その10年後にその村の学校は廃校になりましたが、 その10年間私と共に母校・神戸市外大の後輩の学生の方々が支援活動に加わってくださり、 半世紀後の現在に至るまで『山ぶどうの会』という名称のもと、温かい交わりと友情が続いております。 この支援活動を通じて知った北海道の雄大な自然と大地の香り、 厳しい自然環境の中で逞しく・力強く生活している人々をこよなく愛した私は、 前述の如く再建が成功し軌道に乗りつつあった1969年に居ても立ってもいられず、 北海道の札幌に支店と工場を設けた次第です。私と同様『山ぶどうの会』のメンバーの方々の中からも、 北海道の全てに魅せられて移住された方もおられます。


最後に、苦しい時代の出張列車での読書の他にもう一つ、 北海道の僻地の子供達への支援活動で学んだ大切なこととして、 我国の社会福祉の貧しさの最大の悲劇は、まだまだ我国には経済民主主義化どころか国民を 主人公とする民主主義すら、 北欧三国のようにしっかりと社会体制の中に根付いていないという事実です。 このような現実から社会福祉国家を目指す民主的社会主義政権の誕生を願ってやみません。 でも身近なことですが、遠い昔の北海道や山陰地方への長い出張列車での孤独な読書と思索の旅が、 我社の企業経営にささやか乍らも―その一例としてトルストイ主義を中心とするロシア文学等々の 影響による『キリスト教的隣人愛』の 民主的経営理念を今も与え続けてきてくれているのかも知れません。


書斎から出ての長時間の汽車(列車)の旅、 窓外の様々な風景そしてそれらに全て溶け込んでの読書と思索は、 私の青春にとって全てが一つになって私に人生の意味を教え、 深い関連をもって迫ってくるような気が未だにしてなりません。


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