雑感「半世紀」
武藤 厚也(学10C)
私が楠ヶ丘の学舎で学び、部活でテニスに熱中したあの時代から50年の歳月が流れた。 50年とは半世紀。 長いが、短くも感じた時の流れであった。 「もはや戦後ではない」という副題の経済白書を読んで、おぼろげながら経済を意識した当時の記憶。 安保・政治の熱気から一転、「所得倍増」で国民に中流意識が広がろうとしていた時代。 輸出促進と外貨獲得が国策と喧伝され、それに関わる仕事が脚光を浴びていたのが半世紀前のあの頃であった。
社会人になるのとほぼ時を同じくして、技術革新と積極的な設備投資により日本は本格的な高度経済成長時代を迎える。 その後のオイルショック、為替変動、市場開放、副産物としてのバブル並びにその厳しい後遺症の時代を経て今のIT全盛時代へと。 思い返すと50年はこんな風に流れたのだなと思う。 この半世紀、日本はその経済力を梃子に国力を充実させ、そして平和を維持出来てきた。 後世の歴史作家はこの経済の時代をどのように描写するのだろうか。
時代をもう100年前へ遡ってみる。 いま評判のNHK大河ドラマで、島津斉彬の養女になった篤姫が徳川家に嫁ぐため薩摩を発った年、それは浦賀沖への黒船来航の年(1853年)でもあった。 この幕末から明治維新を経て日露戦争までの50年は、富国強兵、殖産興業、人材登用をもって国の近代化を進め欧米列強に追いつこうとした、まさに司馬遼太郎が描くところの激動の半世紀であった。
いま改めて感じることは当時の為政者は自国パワーの限界を冷静に理解把握し、それを補うために外交、交渉力を大いに活用していたことである。 日清戦争後の「三国干渉」による勧告受け入れなど、もしこれが今の世であればマスコミはどのような反応をするだろう。 100年前のこの半世紀は国力が満たない部分を英知で補ったいわば政治の時代であったと云っても良いのでは。
しかしそこから満州事変(1931年)までのクオーター・センチュリーは先の大戦の悲劇が萌芽した時代でもあった。 複雑な当時の国際情勢が背景にあったとはいえ、これを「軍の横暴」で片付けてしまうのはあまりにも不勉強・不見識ではないだろうか。 近代史に関心を持つ者として、その時代の更なる検証研究が急がれると思っている。
我々が生きたこの半世紀が、経済的繁栄と平和を享受できた時代であったことに間違いはないが、それが次の時代をも保証するものでないことは述べるまでもない。 近く予定されている総選挙で自民、民社のどちらのグループが政権を取るかは別にして、二十世紀の負の時代の検証、総括を系統立てて行いそれを心の糧にして、平和と繁栄を築いていく新たな政治の時代が訪れるのではないかと予測する。 幸せな半世紀を送った我々世代としてはその遂行をしっかり見守り、また口出しする義務がある気がしてならない。
了