村上春樹文学ゆかりの地、西宮夙川を訪ねて
溝口 めぐみ(学23C)
数年前、仕事で「村上春樹の故郷芦屋を訪ねる」という講座を開催したのだが、フルタイム勤務から解放されたので、もっと詳しく村上春樹のゆかりの地を歩きたくなり、今年の盛夏汗をかきながら西宮市と芦屋市へ出かけた。 そのうちの西宮夙川周辺をご紹介する。
「僕は戸籍上は京都の生まれだが、すぐに兵庫県西宮市の夙(しゅく)川(がわ)というところに移り、まもなくとなりの芦屋市に引っ越し、十代の大半をここで送った。」と、「辺境・近境」というエッセイの「神戸まで歩く」で書いているように、村上春樹は、1949年京都で生まれるが、父親が私立甲陽学院の国語の教師になったため、阪神香櫨園駅の南側、夙川沿いに居住し小学生時代を過ごす。
夙川の川については、「ランゲルハンス島の午後」という短い美しいエッセイに書いている。 「水の綺麗な川で、そこに趣きのある古い石の橋がかかっている。バイクも通れないような狭い橋である。 まわりは公園になっていて、キョウチクトウが目かくしのように並んで茂っている。」 私が歩いた今年の8月には、残念ながら石の橋はなくなっているようだったが、キョウチクトウの花は咲き誇っていた。
夙川沿いの道、夙川オアシスロードを南下すると香櫨園浜へ出る。 上記の「辺境・近境」に、「堤防を上ると、かつてはすぐ目の前に海が広がっていた、なにひとつ遮るものもなく。 僕は子供の頃、夏になれば毎日のようにそこで泳いでいた。 海も好きだったし、泳ぐのも好きだった。 魚釣りもした。 毎日犬をつれて散歩をした。」 と、懐かしく回想した後、故郷の現在について綴っていく。 「堤防の向こう側、かつて香櫨園浜の海水浴場があったあたりは、まわりを埋め立てられて、こじんまりとした入り江(あるいは池)のようになっている。」 ここでは、まだソフトな言い方だが、短編小説集「カンガルー日和」の一編「5月の海岸線」では、香櫨園浜の西に続く芦屋の海岸の変貌に対し、直截的とも言える怒りと嘆きを込めている。 故郷喪失。 世界的作家の故郷の風景への思いは深いのだ。
その香櫨園浜の東向かいに西宮回生病院がある。 「蛍・納屋を焼く・その他の短編」という短編小説集のなかの「めくらやなぎと眠る女」にかなり詳しく描かれている病院がそのモデルとされている。 以下は、「めくらやなぎと眠る女」からの抜粋である。「とにかくその年の夏、僕は十七歳で、友だちと二人でその海岸沿いの古い病院に行った。 彼のガールフレンドがそこに入院して胸の手術をしたので、見舞いに行ったのだ。」 「我々は病院の門をくぐる前に海岸べりにバイクをとめ、そのあたりの木かげに寝転んで一息ついた。 海はその頃(ころ)には既に汚れていたし、夏も終りに近かったので泳いでいる人の数は少かった。」 「僕は二人が話しているあいだ窓の外に並べて植えられたキョウチクトウを眺めていた。 それはとても大きなキョウチクトウで、まるでちょっとした林のように見える。」 私がこの写真を撮った時も病院の建物の左側にやはり背の高いキョウチクトウが咲いていた。 この「めくらやなぎと眠る女」の見舞いの描写は、やがて、長編小説「ノルウェイの森」に、「友だち」は「キズキ」、「彼のガールフレンド」は「直子」という名前が付けられ登場することになる。 「ノルウェイの森」は、1987年初版刊行以来、今年8月で日本国内1千万部を突破した超超ベストセラー作品だ。 来年秋には、ベトナム系フランス人トラン・アン・ユン監督で映画公開も予定されている。 兵庫県内では、神崎郡神河町大河内高原、神戸市灘区六甲学院で映画ロケが行われたらしいが、西宮回生病院はどうだったのだろうか。 などと、村上春樹作品のあれこれを思いだしながら、キョウチクトウ咲く夙川沿いを歩いてみるのは楽しかった。 とにかく、村上春樹文学にもっと近づきたい方も苦手でいまひとつ入りにくいという方も、一度、故郷のゆかりの地へ行ってみられることをお勧めしたい。 なにしろ兵庫県から生まれた世界的作家なのです。