あと何年…
山下 道人(学10EA)
2月のエッセイ、米田先輩の「健康雑感」を拝読した。"健康"は年齢を重ねると特に、何物にも替えられない大きな財産だと私には思える。
私も今のところいたって健康で、定期健診の結果も常にいろんな数値を含めて異常は見当たらない。血液検査などで脳梗塞の可能性、危険性の有無を予知すること、そして現代医学でも特効薬はないがんは自覚症状が出たら手遅れで、早期発見しか手立てはないので、これも毎年内視鏡による胃の検査などを受けることにしている。
さて、退職して絵や歌などに興じながらまったく自由に日々の時間を過ごしている昨今ではあるが、人生もとうに半ばを過ぎて、エンディングを気にせざるを得ない境地に入ってきた。
これからの自身の経済的なこと、居住環境のこと、子供のこと、人づきあいのこと、趣味のこと、などなど若い時とは異なった感覚で真剣に考えてしまうことがよくある。
勿論のこと、無職の身であるからこの10数年は、毎日判で押したように朝出勤して夜遅く帰宅してたまの休日以外は拘束されっぱなしの生活に比べれば、なんと自由でいい日々かというのが実感である。24時間を思うがままに使えるのである。勤務先での長い時間がただ報酬を得るためで、面白くもなく辛いだけの年月であったとは決して思わないし、それなりにやり甲斐や生き甲斐も感じることがあったのも確かである。私の場合は外大を卒業して入社し、定年まで転職も無かったごく平凡なサラリーマン生活であったが、世の中多種多様な職業があるわけであるから、いろんな思いや感じ方があることだろう。
話は戻るが、残りの人生がまだ30年、40年とあるわけはないと思うと、どうしてもあと何年・・・が出来るのだろうか? と考えてしまうことがよくある。
あと何年車の運転が出来るか、あと何年合唱団で歌えるか、カラオケを楽しめるか、あと何年絵を描けるか、あと何年楠ヶ丘会の理事が務まるか、あと何年ちゃんと歩けるか、あと何年ゴルフが出来るか、あと何年介護保険を受給しないですむか、あと何年夫婦二人で暮らせるか、など切りがないほどである。
これは私だけの感じ方なのか、この小稿を読まれる諸兄、諸姉はいかがか。