リレーエッセー 第63弾

ア〜ア、疲れた!

戸谷 紀子(修32E)

この春、夫と二人で四年ぶりにハワイでゆっくり骨休みをしようという事になった。予定は四月三日火曜日からの一週間。前日の夜には水着やサンダルを詰めたスーツケースを玄関に並べ、留守中に犬の世話に来てくれる娘に確認の電話も済ませた。

当日の朝起きると雨が降っていたが、飛行機の離陸予定は夜の九時半、二時間前に搭乗手続きをするとしても、家を出るのは五時半か六時でいい。雨もそれまでには止むだろう、と気にも留めていなかった。


火曜日はいつも十二時半から午後二時まで、芦屋川沿いのテニスクラブでレッスンを受けているので、十二時過ぎに外へ出てみると、雨は小降りになっていた。室内コートでのレッスン中、時折トタン屋根にあたる激しい雨音や横殴りの風の音が響いていたが、レッスンがあと十五分位で終わると言う頃、突然バリバリ、ドスーン!とものすごい音が響き、コートの隅にザーッと雨水が降って来た。烈風で屋根のトタンの一部が巻き上げられて壊れたのだ。レッスンは中止となったが、余りにも激しい雨のために車を出すことを止められ、クラブハウスで待つことになった。二十分位おしゃべりをしていると、ようやく風も雨も収まってきたので車を出した。山手に向かって走っていると、阪神電車の高架の前で先行の車が次々とUターンしてくる。しかし周りには何の表示も無いのでそのまま進んだ。ところが私の前の車がUターンしたとたん、高架下が溜まった雨水でプールになっているのが見えた。水は相当深そうで進むのは無理、仕方なくUターンして少し南に戻って西へ進み、通れそうな高架を見つけてようやく家に戻った。


しばらく様子を見ていたが、風は激しくなったり弱くなったりしながらも吹き続けている。こんな天候で飛行機は飛ぶのだろうか? 次第に心配になってきて関西国際空港へ電話をすると、ごく普通の口調で、「飛行機は出る予定ですが、出航は九時十分に変更されました。」と言う。まだ四時過ぎだったが、嫌な予感がしたので雨の止んでいる間に空港へ行く方がいいと考え、スーツケースを押してJR芦屋駅へ行った。すると駅の改札の前には大勢の人が立っていて、尼崎と神戸の間は電車が動いていないと言う。慌ててそのまま駅のタクシー乗り場へ行き、西宮駅へ送ってもらった。西宮駅で関西空港行きのバス乗り場へ行ったが、誰もいない。そのまま待つこと十五分、ようやく現れた切符売りのおじさんは、「空港行きの橋が閉鎖されていて、バスも運行していないよ。」と言う。仕方なく又タクシーで自宅に戻り、今度は三宮のJTBに電話で状況を問い合わせた。すると、「しばらく前から橋が通れるようになったので、バスも一部運行を開始しています。しかし西宮からのバスが出ているかどうかは分かりません。」と言う返事だった。この時、時計は丁度五時を指していた。


刻々と時間は過ぎてゆく。しかし関西空港への橋が通行可能で、飛行機が飛ぶと言うのなら、当てにならないバスを待っているよりタクシーで空港へ行くしかない。旅行そのものをキャンセルしても補償される見込みはないのだから、そう思った私達は今度は家までタクシーを呼び、「急いで関西空港へ行って下さい。」と頼んだ。運転手氏は「一番速い道で行きましょう。」と芦屋川沿いを南へ進んだ。ところが湾岸線の入口に到着すると、閉鎖されていて入れない。仕方なく湾岸線の下の細い道を東へと走ったが、次の入口も閉まっている。ついに尼崎でその道は行き止まりになった。スマホで道路状況を調べていた運転手氏は、「高速道路の入口も閉まっているようなので、43号線で大阪へ行くしかなさそうです。」と言う。搭乗手続きは二時間前までと信じている夫は、「七時までには空港へ到着したいが大丈夫だろうか。」と聞いている。運転手氏は「大阪市内の道路状況次第ですが、、、」と首を傾げる。その時私はJTBの案内書に「離陸一時間前までに受け付けを済まされないと、搭乗をお断りする場合があります。」 と書かれていたことを思い出し、「とにかく行って下さい。」と頼んだ。しかし43号線へ続く南北の道路が既に大渋滞、信号が青になってもなかなか進まない。43号線に入るまでに二十分位かかってしまった。

時計はすでに六時を大分過ぎていた。スマホとカーナビを相手に格闘しながら、渋滞する大阪市内の一般道をひたすら南へ進んでいた運転手氏は、ついにどこかへ電話をかけて相談を始めた。「堺の一つ手前の入口で湾岸線に入れるそうですが、どうしますか?」と聞く。私は「とにかくこんな状況なのだから、八時までに着けば搭乗させてくれるでしょう。行って下さい。」と言ったが、七時までに行かないと駄目と信じている夫は黙って苦虫を噛みつぶしている。


湾岸線に入ってからも時折横なぐりの雨と風に車体を吹き上げられそうになり、ヒヤリとしながら走っていると、後ろから来た一台のタクシーがビューっと猛烈なスピードで、水煙をあげながら追い抜いていった。夫と顔を見合わせて「ウワ―、怖くないのかな。凄いスピードだ。」と叫ぶと、八時までに着けばいいと少しほっとしていたらしい運転手氏が、煽られたようにスピードを上げた。ようやく空港に到着したのは七時四十分。人影まばらなホールを走り、デルタ航空の受付にたどりつくと、「八時三十分までに搭乗口へ行って下さい。」のんびりした声でにこやかに言われ、肩の力が抜けた。

最初の西宮往復から緊張しっぱなしの四時間近いドタバタ劇はようやくここで終わり、ほっとすると共にタクシー代合計26、000円也がズシリとこたえた。


ばらばらと走り込んでくる乗客を待ったためか、結局九時三十分に、それでも半分くらいの座席が空席のまま、機体はホノルルに向かって離陸したのだった。

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2024年6月5日

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